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Tetsuji Aoyama

小学校の頃からいつも明るく人気者だったが、忘れ物が多くじっとしていることが苦手だったので、通知表には毎回「落ち着きがない」と書かれていた。勉強よりも絵を描くことが大好きで教科書は落書きだらけ。好きな図画工作の授業には集中力を発揮して好成績だった。

8歳の時、公務員だった父の突然の死で母子家庭となり、生活は困窮。

亡父は絵を趣味としていて「50歳になったら仕事を辞め東京で画家になる」という夢を持っていたと聞かされていた。

高校に入っても集団行動が苦手で、人と違う考え方、違う行動をとることが多く、同級生たちとコミュニケーションが取れず、学校生活を楽しめずに悩み、1人で海外アーティストのライブに行くのが唯一の楽しみだった。

高校卒業後も仕事との付き合い方に苦慮し、転々と職場を変えるアルバイト生活が続いた。

24歳、憧れのアメリカへ自分探しの旅に出る。2か月かけて大陸横断を経験し帰国。

29歳の時、手先の器用さだけは自信があったのでそれを生かし彫金術を極め、貯めていた貯金を叩きオリジナルアクセサリーショップをオープンさせる。

事業を拡大し店舗数は3店舗に。芸能人や歌手、スポーツ選手にもファンになっていただけるブランドに成長。
42歳の時、それまで父の夢について意識することはなかったが、自分の誕生日10月8日に「今日で父の亡くなった年齢に自分もなった、人生は一度きり、父の思いを継ぐことを人生の目標にする、”50歳で画家になる!”」と決心。

2019年6月夢を夢で終わらせないために、オリジナルアクセサリーショップを閉店。アーティスト活動に専念する生活をスタート。

独学で絵の具による制作を初める。

2020年12月、日本テレビ「誰も知らない明石家さんま」「さんま画商プロジェクト」第2弾に約4500枚の応募作品の中から選出され「明石家さんま画廊」に出品した3作品は開始30以内で完売。

その後買えなかった方や放送を見た方からの問い合わせが殺到し、一躍人気画家となる。


自分で言うのもなんですが波乱万丈な人生を過ごしてきました。子供のころからずっと、生きにくい世の中だな、自分は社会不適合者だな、と思いながら生きてきましたが、10数年前、自分がHSPと発達障害(ADHD、ASD)、強迫性障害なんだと知ったことで、やっと、ほっとすることができました。今でもそれによる大変な症状に悩まされることは多々ありますが、絵を描くことにおいては、この障害は好都合。色彩感覚、独創性にも富んだ発想力からくる創作意欲、描き上げるための集中力これらは、絵描きとしてとても有利な才能だと自覚しています。そして何より、好きな事には没頭できるので今は絵を描く事が楽しくて仕方ありません。これからも思うがままに描き続けたいと思います。